人生は選択の連続で、いつだって正解は見えなくて。
明らかに間違えた道を歩んでいれば、すぐに引き返せるけれど
どこまでも歩いているうちに、自分でもそれがどんな道だったのかすら見えなくなってくる。自分をごまかし始めてしまうような時が訪れることもあったり。
そんな時は大抵、目先の利を食ってしまうあまり、本質を見失っている気がする。
最近、間違えた選択でもしたのか!?と思われてしまいそうな内容だけれど、実のところ真逆で、きっとこの道が最善だと強く思える方向性がぼんやりとだけれど見えてきた、そんな喜びで全身が満たされている日々。
「ことり」という、小川洋子さんが書いた素敵な小説を読んだ。
繊細に丁寧に暮らしている人間と小鳥の生涯を描いた、静かで温かな物語。
”物語”という言葉が適切かわからなくなるほどに、人間に深く寄り添って描かれた言葉の連なりは、子宮のずっと奥の方がジワリと暖かくなるような感覚を呼び起こした。
小説を読んでいる間、飴が無性に食べたくなった。ただの飴ではなくって、青やピンクのカラフルな球体をザラザラとした砂糖で覆い尽くされた、駄菓子屋さんで透明の容器にたくさん詰まって輝いていた、あの飴玉。すぐに噛んでしまいたくなる衝動を抑えて、大事に大事に小さくなってしまうまで、舐め続けたい。そんな思いに駆られた。
小鳥の小父さんが食べていた、あのチョコレートが食べたいと思った。少し高級な、噛むと中からドロリと液状のチョコが溶け出してくるような、一つ一つ丁寧に梱包されたチョコレート。「一粒で十分」冷蔵庫の中に補充してあった少し高級なチョコレートを口に含みながら、カッコつけてつぶやいてみたけれど、ほとんど無意識にいくつも包みを解いてしまう自分の欲深さにうんざりとしながら「これが私だ」とどこか納得する。
私はきっと欲深い人間だ。
丁寧な暮らしをしたいと思う一方で、便利な物をなるべく使いたいと思っている。
高級なチョコレートを、一日一つずつ大切に食べたいと思った次の日には、無性に明治の板チョコが食べたくなる。
無農薬のお野菜で温野菜を作ったかと思えば、ハンバーガーを口にしている。
常に相反する欲望が行き来していて、ほんの一瞬で自分の意志すら見失ってしまう。
自分がどこに向かいたいのか、見失ってしまった時には、また「ことり」を読もう。
森の中で進むべき道を見失った時に
方角を指し示してくれるコンパスのように、
私の歩むべき道を静かに示してくれる、そんな本だと思う。
素敵な本に出会えた。
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